今こそ芥川の「鼻」を読もう

芥川龍之介の「鼻」(1916)は、近代日本人の自我の弱さを滑稽に描いた作品です。

自我を確立する上で、他者の承認欲求(モテたい、みんなに認められたい)は当然でてくることですが、

これにとらわれ過ぎると、自分が何しているのかわからなくなります。

「自分は自分であり、他人は他人である」と思えれば、問題はないのですが、

「鼻」の主人公は、他者の評価が気になって、結局もとの自分にもどってしまいます。

いろいろ自分で考えて元に戻ること自体はいいのですが、

そこに自分の意志はあったのか?主体性はあったのか?そんな問いを感じます。

現代は情報化が進み、SNSなどでの誹謗中傷をきっかけに自殺する人もいます。

自分の承認欲求が過ぎやしないか、自分軸で考えられているか?

今一度考えてみるのに「鼻」をおすすめします。

あらすじは以下を参照ください。

【あらすじ】

禅智内供(ぜんちないぐ)は、自分の長い鼻に悩んでいました。

不便なだけでなく、自尊心を傷つけられることに悩んでいました。

あるとき、弟子のすすめる奇妙な方法を試みると、鼻は短くなりました。

内供はのびのびした気持ちになりましたが、長い鼻をあざ笑っていた人たちは、前にもましておかしそうに笑います。

「なぜ笑うのだ?」内供は日ごと不機嫌になり、逆に鼻が短くなったことをうらめしく思いました。

すると、鼻は元どおりに長くなりました。「こうなれば、誰も笑うまい」。そう思って、はればれとした気持ちになるのでした。