豊臣秀吉と良寛

生き方として対照的な二人です。

秀吉は、百姓から成り上がり、太閤にまで上りつめた人物です。

織田信長に仕え、本能寺の変の後、明智光秀をほろぼし、さらに全国を統一しました。

権力と富を手に入れて、大阪城をはじめ桃山文化など、様々なものを創造しました。

しかし、晩年は権力や富に執着して、不安に取りつかれ、

甥で養子の秀次やその一族を処刑したり、

茶の湯の先生であり政治の相談役の千利休を切腹させたりしました。

辞世の句

「露と落ち 露と消えにし わが身かな 浪速のことは 夢のまた夢」

(露のようにこの世に生まれ、

そして露のように消えていく、自分。

大阪城で過ごした日々は、

夢の中で、夢を見ているようなことだった。)

たくさんの人々に愛されたましたが、自分が生み出した権力や富に執着し、

何事も変わっていくということを認められなかったため、

その不安から狂気に至った最後でした。

 

他方、良寛は江戸時代の越後(新潟県)の生まれで、

22歳で出家し僧侶として質素な生活をし、

書家、歌人として生涯を過ごした人物です。

辞世の句

「裏を見せ 表を見せて 散るもみじ」

(あなたには自分の悪い面も良い面も全てさらけ出しました。

その上であなたはそれを受け止めてくれましたね。

そんなあなたに看取られながら旅立つことができます。)

消えていくものを所有しても意味がない、

自然のままに身を任せ人生を楽しもうという価値観の持ち主です。

自然の命の営みの美しさを素直にとらえました。

愛する人に感謝の気持ちを伝えた最後でした。

 

どちらがいいかわるいかということではなく、この2人から学べることは多いと思います。