「徒然草」の深~い話

中学2年生の国語で、「つれづれなるままに~」でおなじみの吉田兼好「徒然草」を学習します。教科書には冒頭部分と「仁和寺にある法師」が載っています。「仁和寺にある法師」は独善の悲哀を戒めたものです。まるで、中学2年生頃の思春期にみられる、背伸びしがちな言動を戒めているかのようです。

 

また、教科書には載っていませんが、徒然草の中でも吉田兼好の死生観を表しているものを紹介したいと思います。

第九十段「牛を売るもの」というところで、

 

人死を憎まば、生を愛すべし。

人間誰しも、死ぬのがいやならば、だからこそ、今ある命を愛するべきなのだ。

 

存命の喜び、日々に楽しまざらむや。

命ながらえる喜びを、毎日たいせつに楽しまなければならない。

 

愚かなる人、この楽しびを忘れて、いたづがはしく外の楽しびを求め、この財を忘れて、危ふく他の財をむさぼるには、志満つことなし。

愚かな人間は、この楽しみを知らず、物欲に振り回されてあくせくしている。命という宝を忘れて、やたらと快楽や金銭という別の宝ばかり追い求めていては、いつまでたっても心満たされることはない。

 

生ける間生を楽しまずして、死に臨みて死を恐れば、この理あるべからず。

そんなふうにして、生きている時に、生きる喜びを楽しまないで、いざ死ぬ時になって死を恐れるならば、私の言う理屈とは合わない生き方をしていることになる。

 

人皆生を楽しまざるは、死を恐れざるにはあらず、死の近きことを忘るるなり。

つまり、誰もが生きる喜びを楽しもうとしないのは、死を恐れないからだ。いや、死を恐れないからからではなく、人間はいつも死と隣り合わせに生きているという自覚がないからなのだ。

 

『ビギナーズ・クラシックス 徒然草』角川ソフィア文庫より

 

ただ生きていることに感謝できる清らかな心がもてるように、日々過ごしていきたいですね。